仕込みの工程です。タンクの大きさが分かりますでしょうか。
「今から仕込みなのでこの梯(はしご)を登って下さい!」と蔵主西條さん!
仕込みタンク覗いてみて「こうなってるんだ!」と感心していると
西條さんが「タンクにはまったらこのタンクお買い上げ!!」
と言われておっかなびっくりです!!!
蔵人が麹米を運んで来ました。
これが麹米です。
麹米を仕込みタンクに入れています。
掛け米を行っています。
和醸良酒!
杜氏さんの熱い思いです!
天野酒西條合資は高野山に向かう東高野街道と西高野街道の合流点大阪府河内長野市にあります。天野酒西條蔵は享保3年(1718年)から280余年間、当地大阪府河内長野市で酒造業を営んでまいりました。
仕込みの工程です。タンクの大きさが分かりますでしょうか。
「今から仕込みなのでこの梯(はしご)を登って下さい!」と蔵主西條さん!
仕込みタンク覗いてみて「こうなってるんだ!」と感心していると
西條さんが「タンクにはまったらこのタンクお買い上げ!!」
と言われておっかなびっくりです!!!
蔵人が麹米を運んで来ました。
これが麹米です。
麹米を仕込みタンクに入れています。
掛け米を行っています。
和醸良酒!
杜氏さんの熱い思いです!
麹室で麹を作る工程です。
麹米の保温と雑菌防止のため布で覆って行きます。
幾重にも幾重にも覆います。
まだまだ覆います。
麹に対する蔵人の尊敬と慈しみの気持ちが丁寧なていねいな所作事となって現れています。
蒸し上がった酒米に麹菌を振りかける工程です。
蒸し上がったお米の放冷を行っています。
ある温度まで下がったら麹菌を振りかけます。
もうそろそろ良さそうですね。
麹菌を振りかけています。
クローズアップしました。
麹菌を振りかけた蒸し米を受けています。
麹菌を振りかけた蒸し米を麹室に急いで運びます!
蔵人が向かうこの部屋が麹室です!
甑(こしき:大型のセイロ)で酒米を蒸します。
立ち上がる湯気が光に映えて幻想的です。
そろそろ甑(こしき)の覆いを取り外します。
覆いを取り外した甑の中の状態です。
蔵人が覆いを張っています。
蒸米の蒸し加減のチェックです。
蒸し上がり良好です!
蒸米は放冷のあと麹米や掛米に使われます。
天野酒西條合資は高野山に向かう東高野街道と西高野街道の合流点大阪府河内長野市にあります。
大阪府河内長野市は高野山に参拝する高野詣の人々の文化の交流点でもありました。
天野酒西條蔵は享保3年(1718年)から280余年間、当地大阪府河内長野市で酒造業を営んでまいりました。
創醸期から明治末期までは「三木正宗」、大正・昭和を通じて「波乃鶴」の銘柄で親しまれていましたが、昭和46年に天野山金剛寺のご好意と地元の方々のご声援を頂き古格「天野酒」を復活いたしました。
「天野酒」は河内長野市にある天野山金剛寺から由来いたします。
お酒の技術が確立したのは室町時代末期ですが、その当時酒造りと流通の中心となっていたのが各地の寺院でした。
このためお酒は僧房酒と呼ばれていました。
天野山金剛寺の僧房酒「天野酒」は後花園天皇の実父伏見宮貞成が永享4年(1432年)に記した日記「看聞御記」にしたためられています。
お酒の品質がまだまだ十分でなかった当時にあって、その品質の高さは宮廷にも認められておりました。
戦国時代に入り天野酒は戦国武将の愛飲するお酒となりました。
京都御所に献上した楠正成を初め、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、小堀遠州など枚挙にいとまがありません。
特に天下人太閤秀吉は天野酒を愛でて、度々使者を使わせて買い求め、良酒醸造に専念することを命じた朱印状を天野山金剛寺の下付したほどです。
復活した天野酒は毎年、岩手県の南部杜氏によって丹精に造られています。
酒造りに適した高品質米を用い高度自家精白して、南部杜氏が手間隙を惜しまず醸し上げる一滴一滴は芳り高く醇らかです。
「純米造り」に秀でた蔵元として酒通の方々から高い評価を頂いております。